関東軍の名称は日本の関東地方ではなく、中国の関東地方からだった。

泣く子も黙る関東軍 で有名な満州に駐留していた関東軍。

その名称はどこから来たのでしょうか?

日本の関東地方では無く、中国の関東州

中国の遼東半島の先っぽにある、大連・旅順を中心とする「関東州」に駐留する軍隊に「関東軍」と名付けました。

日清戦争後、ロシアは三国干渉でこの地域を租借しておりました。

ロシアはその際、この赤丸のエリアを「関東州」と名付けました。

日露戦争で日本が勝利すると、この地域の支配権をロシアから引き継ぎ、「関東州」の名称も踏襲します。

この「関東州」と日本が引き続き呼称することに中国(清国)は激しく抗議しました。

なぜなら清朝発祥の地である満州は、本来満州族の土地であり、中国では東三省(黒竜江省、吉林省、遼寧省=奉天省)と呼ばれてました。

この地図の右側の三つです。上から黒竜江、吉林、奉天

(現代の地図を塗ったので、当時とは変わっている可能性はあります。)

古来から要害の地として知られ、万里の長城の東端にある山海関の東北一帯に位置することから「関外」、「関東」、あるいは単に「東北」とも呼ばれてました。

なので「関東」というのは、もともとこの三省=満州全域の別称ともいえます。

その満州全域をさす「関東」を、遼東半島のほんの一部にすぎない租借地に用いるのは清国としては民族感情からも認めるわけにはいかなかったのです。

たとえが悪いかもしれませんが、現在の北方領土の一部の島を「大和」や「江戸」と呼称するようなもので、そうなれば日本人は激しく抗議しますよね。

しかし当時の日本はその抗議を退け、名づけ親のロシアに続いて「関東州」と呼び、後の ”泣く子も黙る関東軍” の部隊名へと引き継がれていきます。

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