車も電車もない江戸時代。
各地の大名たちは参勤交代で江戸まで歩いて行きました。
さんざん大名たちを苦しめた参勤交代はパロディとして映画にもなりましたね。
その目的や費用はどうだったのでしょうか。
参勤交代の目的を簡単に解説
戦国時代末期、徳川家康が天下を統一し、江戸幕府を開きました。
しかしまた各地の大名達が力を蓄え、反乱を起こすとまた乱世の世になってしまいます。
せっかく天下を統一したのに、また下克上を起こされては困るわけですね。
そこで江戸幕府は各大名たちが反乱を起こせぬよう、戦をするには不可欠なお金を使わせたり武器を取り上げたりと色々な政策をとりました。
そのうちの一つが参勤交代なのです。
江戸幕府は参勤交代ということで、大名たちに定期的に江戸に来させました。
その費用を大名に負担させることで彼らの経済状況を悪くすることに成功しました。
何と藩の一年間の財政の、約5割が参勤交代に使われていました。
さらに2割が江戸での滞在費、残った3割を国元の政治や生活費にしていました。
かなりの費用を参勤交代で使わせていたことが分かりますね。
江戸までの日数や期間は?薩摩藩の場合
東京から一番遠い、鹿児島。
薩摩藩は江戸まで行くのにどれくらいかかったのでしょうか?
鹿児島⇔東京の距離は陸路、四国を通る海路を使い、最短距離で約1200kmもかかります。(実際どのルートを通ったかは不明です。)
記録によると約40日かかったといいますから、平均して一日当たり30kmも移動したことになります。
日数はかかればかかるほど宿代などのお金がかかるため、できるだけ期間は短縮する努力はしていました。
そのため朝早くに発って、できるだけ1日の距離を稼ぎました。
なんと午前四時から出発という一行もあったといいます。
なお、水戸藩などの近場の大名たちは3日ほどで江戸に行けました。
薩摩藩からすると不平等で不満はあったのかもしれませんね。
費用を現代の価値に換算すると?
石高最大、加賀藩の場合
加賀100万石ともいわれた最大規模の加賀藩。
その参勤交代もものすごいお金がかかりました。
まず人数は2000~4000人。
この参勤交代は藩の威厳を見せる目的もありました。
行列を豪華にすることで農民や町民に大名としての威厳を示すことになったので人をけちるわけにはいきません。
あまりお金をかけずに参勤すると、あの藩、しけてんな~。お金ないのかな~と思われてしまいます。
日数は平均で12~13日でした。
2000人で行った場合、費用は現代に換算すると約2億円かかりました。
一人当たり1日で8,300円。なかなか妥当な値段ですね(笑)。
大名たちの必死のコストダウン
藩の財政の半分近くを消費した参勤交代。
できるだけ安くしたほうがいいに決まっています。
まず、切り詰めたのが宿代です。
宿のランクを下げたり、先遣隊が先に宿屋へ着いて値下げ交渉をしました。
しかし、そういうケチぶりは、世間の陰口の的になりました。
とくに、薩摩から遠路はるばる江戸をめざす島津家は、1000人以上の行列で行ったため、加賀藩同様、非常にお金がかかりました。
ただでさえ「借金500万両」といわれるような深刻な財政危機に陥っていたため、宿代を値切り倒すので有名で、庶民からさんざん冷やかされていたのです。
さいごに
大名たちの財政を蝕んだ参勤交代。
彼らが涙ぐましい努力をしていたことを覚えていただければと思います。